目的地とは①

 

What are you going?

 

そう聞かれたとしたら、

 

Well,um...I have no destinaotin so far.

 

って答えると思う。

 

 

 

 

つまりは進路の話である。

 

 

 

 

 

 

 

★★★

 

 

 

 

 

 

あるところに、地方に住むある少女がいた。彼女は親戚が都市圏に住んでおり、東京という地にあこがれを持っていた。店や人の数じゃない。文化や活気、情報といったものが、その都市をキラキラさせていた。歩き歩けば赤い鳥居にあたり、進み進めば空色の塔、忙しなく動くスーツ姿に、線路を走るは萌黄の箱箱。

 

彼女はそんな、都市が大好きだった。

 

 

――彼女は高校1年生だった。地方の中でも三本の指に入る高校に入学することができ、一気に増えた部活の数や授業の多様性いや多忙性ときたる新しい生活に目を輝かせていた。希望は心に満ち満ちていた。

 

入学後。部活を兼部した。文化系部と運動系部だった。前者は話のあう仲間が多く、その瞬間瞬間が楽しかった。後者は人間関係や顧問の先生でうまくいかなかったり、兼部によるヘイトを感じたりはしたが、部活自体は楽しかった。新しい人との出会い、新たな技術の獲得、新き私は順調、かのように思われた。

 

 

そんな高校1年の終わりである。少女にとって人生の分岐点ともなりうる出来事が起こった。一言で言えば井の中の蛙大海を知らず、彼女は青黒い海の深淵を覗き込んだのである。

 

キッカケは東京の高校へ進学した中学の同級生がとある校外活動で”彼ら”――東京の名門校に通う”ツワモノ”――と繋がりを持ち学生団体を立ち上げた事だった。私は誘われたのである。そのカオス、いや地方とは全く異なる高校生のコミュニティー内へ。

 

一番の衝撃は、これからであった。実際に東京都内で集まることとなり、たまたま親の帰省でそちらへ行けた私は実際に彼らに会うこととなった。

 

 

 ――わたしは絶望した。必ず、わたしと”彼ら”には埋め切れやしない差があると理解した。わたしには経験があらぬ。わたしは、ただの地方に住んでいる高校生である。ごく普通に勉学に励み、ごく普通に日々を過ごしてきた。けれども、わたしは私のごく普通が彼らのごく普通と全く異なっている事はよくわかった。

 

 

 

「こんにちは。僕は今、地方のトップ小中学生を都会へ進学させることを手伝うための株式会社運営をしています。サイト運営から始め、......」

「こんにちは。私は今、医療問題に関心があって、調査学習を進めています。先日、ある企業の方にお伺いして......」

 

 

 

悔しい、と思った。

 

その場をはやく離れたかった。何かを発言したら、それは違うと指をさされるのが、目を向けられるのが怖かった。知識も経験もない、ただの凡人がひとり、その集まりの中で浮いているように思えた。私の座っている席だけが、余命の短い2Bの黒鉛筆で、力任せにグシャリと塗りつぶされたような心地がしていた。

 

 

――帰宅時に経由したのは上野駅だった。ファンシーなパンダが壁一面のんびりとくつろぐ構内で、ひとりトイレに駆け込んで、声を潜めて泣いていた。心臓を握るように、右の手で服をしわくちゃにして嗚咽をこらえる。

 

苦しかった。今までの私は何だったのだろうと思った。

 

受験。確かに頑張ったかもしれない。部活や委員会。確かに人よりはやっていたかもしれない。ただ、それはそれだけであって、彼らにとってはそれすらも当たり前の一部であるという事実に目を背けることはできなかった。泣くという手段でしか、私は脳から発せられる叫びを留めることは出来なかった。

 

――一通り泣き終えた私は、電車を待ちながらただ茫然と天井を見つめた。黒と白を纏った熊は、無言で笹の葉を頬張っていた。

 

 

 

 

まもなく、私は高校2年生となった。地方格差だ......!なんなんだこの都市民と地方民の違いは......!という事件のショックが少し風化して、私は彼らに少しでも近づかんと地元で校外活動に身を乗り出した。ここで注釈を挟んでおくと、私は曲りなりともポジティブである。辛かったことなど忘れ、風化していくのだ。それが人間の性である――なんて、言ってしまった方がいいのだろうか?

 

......とまぁ本題に戻るのだが、校外活動というのも、実は先駆者がいたのである。高校1年の冬、例の事件が勃発する前に、「大学生や社会人と高校生の交流会」に参加したことがあった。その主催者が、2つ上にあたり昨年度SFCへ入学していった”やばい”先輩だったのである。(あとから知ったことだが、彼女はトビタテ留学JAPANや県外の様々な活動に参加しており、そこからインスピレーションを得ていたのかもしれない。)

 

私はその真似事をやりだした。見様見真似であった。虎の威を借る狐ではないが、先輩の理論を用いて活動を行えば評価してもらえると思い腰を動かした。初めて場所を借り、金銭の授受を経験した。初めて告知のパンフを作り、社会人と交渉をした。来てくれた同級生は数人だったが、とりあえずはやりきった。だが、心の中にはなんにもなかった。「からっぽだ。」交流会を終えた後、ひとり電車の中でごちた。

 

何かやらなくちゃと自分を追い詰めて、いいことはひとつもなかった。結局私は、他人にはなれない。それだけだった。

 

 

 

 

校外活動に身を投じた代償として、少しの成績低下と運動系部からのヘイトが大きくなった。(後者は生徒会加入の影響も大きかったが、)なにをばかなことやってたんだろうと、5月あたりまで外部――凄腕高校生やら、知り合った社会人さんやら、好きなことをやりなよとアドバイスしてくれる(とはいえ私は相手に憧れていたため、好きなことが分からない私にとって苦しい言葉の数々ではあったが)”ヤバい”先輩やら――との接触を断った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日はここまでにしておく。

待て次回。