徒然草①
ふと思うことがある。
「どう生きればいいんでしょうか?」
「もう、死にたいんです。死んでも、いいですか」
「もう、生きていることが嫌なんです」
「どうすればいいか、分からないです」
じぶんの人生を手放すような
決断をゆだねるような
どこか心配してほしい と心の奥では望んでいるような
そういう言葉は、わたしなりの「話をきいて」というサインだったのかもしれない。
相手の気がこちらに向くように、したかっただけなのかもしれない。
......と、こう書くとただの構ってほしい人になってしまうのですが。
実は前々からこんな風に、たまーにメランコリーになることがあるんですよ。
泣いている理由が貴方だなんて言えるわけないでしょう、
苦しんでいる理由が他者にあるだなんて、自己中も甚だしい、
いやそう思うこと自体が自己と他者を平等に見ていないんじゃないか、
やっぱり私のせいじゃないか、あぁ、そうか
まぁ文を見てもらえれば分かるように、考えすぎるんっすよね。
まぁその、、、自意識過剰の塊みたいなのでこの辺で控えますけど。
どうせなら笑って生きていければいいよなーと思うけど、
笑って生きるには苦しい時間も必要だったりするんですよね。
確かに同じ場所で同じ生活、いつも満たされているような気持ちだったら
井の中ってなんて快適!ぬるま湯最高!ビバ!ってなるんですけど
「無常」をお借りするならば
移り変わらない日常なんてないし、気付いてないだけで色々変わってるんですよね。
特にほら。一緒に学校通ってた同級生。
中学まで一緒だったけど、高校で離れて久しぶりに会ったら「あれ?!なんかめっちゃ顔変わらなかった?!」ってなるじゃないですか。それです。
物事、近くにあるものほどちょっとした違いに気づかないんですね。
と、なんか書いてたら「自分イヤダナー」とか消えてたので、
なんか思うことがあるときは書き出しておくことにします。
あっ、星は不要です。これからも好き勝手やります。